修行を終えて

2016115122449.JPG

昨日まで住職と二人で修行を担当していました。
仏教を使った修行ということで写経、写佛、勤行、作務などもいたしましたが、どちらかといえば講義や議論をする法話が主体でした。
厳しく精神を鍛えて問題を解くことを求めうちの修行を選択される方は多いです。
私たちも十数年にわたり山に入ったり、水に浸かったり、火渡りをしたり厳しい修行を主にやっていた時期がありました。

でも、そもそも修行をして力ずくで問題を解こうとすることは本当に正しいのでしょうか?
これは長年の私たちの経験から言えることですが、修行で精神力をつけても解けない問題はたくさんあります
力をつける前にやるべきこと、見るべきこと、考えるべきことがあります。
そもそもその行動が天に向かって物を投げるような性質の行動であったなら、どんなに力をつけても目的地にたどり着くことは無いです。逆に力をつけて高く投げれば投げるほど強く地面に打ち付けられてひどい目にあいます。

私たちの修行では人生というゲームがどういうルールでできているのかを知っていただくことから始めます。そのうえで上手くいっている人の人生を教材として上手いプレイとはどのようなものか、上手に点を入れてゆく基準はどこにあるかを教えてゆきます。
皆さんの人生で自分の力でほしい物を手に入れたり、心が楽になったり、幸せを感じることができるように案内をいたします。

どこかで聞いたことある話になることも多いです。というのも本当に成功し実現できる話というものは押さえるポイントが決まっています。だから、他の業界で上手くいった方も同じ働きをその道で実践しているだけの話になっています。気がついてつかんでいただくようにいろいろな角度からその働きを説明してゆく作業を修行される方の価値観に合わせてオーダーメイドで行っています。手渡ししたいものは同じなのですが、修行でお話する内容は一人として完全に一致することはありません。

世の中でできないことを可能にする。その奇跡が起きる条件を用意して自分が状況に合わせることでなるべくしてなるようにする。
多くの方は最初に自分のやりたいことそのままに自分中心でやろうとされます。
厳しい修行はこの自我を取り、世界のあるべき形を正しく見るために行うものです。
そしてしばらくやってみて思うようにできないことに気がつきます。そこからできないことを正しく見てできない条件を自分の人生から取り除いてゆくと、思ったことが思ったとおりに実現する世界にたどりつきます。私たちの修行は自力でたどりつく部分とこの世界の働きとひとつになることでたどりつく部分の両方を追求しております。正しい形というものは自然で無理なく上手くいくものです。より強く、より高く道を求められるリーダーの方に一度、歴史の中にある宝、仏教の知恵を学んでいただけたら思っております。
これは日本を、私たちの住む社会をよりよくする働きのあるものです。
是非、皆さまと阿蘇くじゅうの大自然の中で真理を追求し、修行による出会いを通じてこの世の中を良くしてゆく道が重なることを希望しております。(道陽)